海外にいるナース〜わたしが日本ナースから海外ナースになるまで〜

公開:2024.12.12

初めまして、イギリスのロンドンの病院で正看護師かつ日本ではまだ珍しいクリニカルナースエジュケーター(CNE)をしている、きういです。私が日本で看護師をしていたところから現在の役職に就くまでの紆余曲折をお話したいと思います。

日本の総合病院急性期病棟からフリーランスナースに

病院を辞め海外に行きたいと決めたきっかけ

イギリスで看護師をしたいと思うきっかけはなんだったんですか?とよく聞かれます。正直にいうと失恋なのですが(笑)、大学生の時から海外で看護師してみたいという気持ちはあって、当時はハワイで看護師できたら楽しそうだなと思っていました。でもなかなか勇気も出ず大好きな日本を離れるつもりもありませんでした。訳あって病院を辞めることになり辞めるための理由として思い出したのが海外で看護師になりたいという気持ちでした。なので失恋は最後の一押しですね。

病院を辞めた後の気持ち

日本で働いていた病院を2年で辞めました。大学の先生や先輩にも3年は続けた方がいいと言われましたが、勇気を出して辞めることにして今となっては全く後悔していません。でも当時はいざ辞めてみると、同期がどんどん臨床経験を積んで先輩になっていく姿を見たり、看護師をしていない自分にアイデンティティクライシス(自己の喪失)になり、何やってるんだろう自分と思う時期がありました。英語の勉強に集中するため、仕事はほぼしていなかったので貯金は少しずつ減っていき、税金は前年度の収入で計算されるので経済面も影響して気持ちがマイナスに。日本でレールから外れた人生を歩むのは、なかなか孤独感がありました。

派遣ナース生活

このままではよくないと思い、派遣看護師として働くことにしました。すると、今まで私立の総合病院で働いていた「箱入り看護師」だった私はどんなに狭い世界の看護しか見てこなかったのかに気づきました。クリニックや小学校の移動教室同伴(保健の先生)、訪問看護、市民病院、施設やデイサービスなど様々な場所で働く中で自分の視野と世界が広がっていくのが楽しくなり経験を積むごとに自信に繋がっていきました。その中でも特に好きだったのは訪問看護です。自転車で利用者さんの家に向かう道も利用者さんの生活に私たち看護師が合わせることで病院よりも個別性を尊重した看護ができるところが大好きでした。

ナース以外の仕事(フリーモデル、カフェ店員)

派遣看護師の時は、好きな時に毎回違う場所で働く形で当初は働いていたので、看護以外の仕事にも挑戦してみようとフリーモデルも経験しました。表情や身体で演技をしたり自己表現をするのがとても楽しかったです。イギリスに行く直前はお金の不安が強くなるべく貯金したかったので、週5で日中は近所で看護師をして、終わったらそのまま夕方はカフェでバイトして、まかないを食べる生活をしました。

スリランカへ医療ボランティア

渡英直前に米軍主催の「パシフィック・パートナーシップ」という国際交流や医療ボランティアに参加する機会があり、初めて日本以外の医療に触れる貴重な機会になりました。スリランカの医療制度や状況、患者さんから聞く話も、米軍看護師から聞くアメリカ看護の話、病院船も自衛隊看護師という職業もこの時初めて知り、刺激的でした。ボランティアといってもバイタルサインを測ったり、診察を受けに来た患者さんの問診をして簡単に主訴をカルテに書き、どの科の先生に診てもらうかを割り振る作業をする程度でしたが、とても良い経験になりました。初めは医療英語に全く自信がなかったのですが、英語からシンハラ語/タミル語に通訳してくれる方もボランティアで、難しい医療英語はわかりません。そんな中、アメリカ人の看護師より私が使う簡単な英語の方が通訳がスムーズにいくことに気付き、自信とモチベーションに繋がりました。

IELTSに苦戦

仕事をしていない時間は英語の勉強をしました。当時はイギリスの看護師になるには英語の試験の選択肢はIELTS(International English Language Testing System)しか無く、各項目で7.0の点数が必要でした。Speaking, Listening, Readingは比較的得意だったので問題はなかったのですが、Writingがなかなか届かず1年が経とうとしていたので、「こうなったらとりあえずイギリスに行ってみたら英語力も伸びてどうにかなるんじゃないか」と思い、勢いでスーツケース1つに最低限の服と就活用のスーツを持って、仕事も住む場所も決めずにイギリスに飛び立ちました。

渡英後の生活

渡英してから訪問ヘルパーになる

ひとまず病院での仕事を探している間、カフェで勤務したり、アクセサリー販売やオンラインで日本語を教えたりしながら節約生活をしました。必要なものはほぼ全てチャリティーショップで中古品を買い、お金の不安から手洗いで洗濯をした時期もありました(笑)。ロンドンの病院の看護助手の仕事が決まり病院の寮に引っ越すも、日本で働いていた職場からの書類に時間がかかったため、知り合いのつてでプライベートの訪問ヘルパーになることができました。ヘルパーと言っても全自立の利用者さんで、イギリスで看護師資格を持っている人を24時間ヘルパーとして雇っており、薬の管理やバイタルサイン、膀胱留置カテーテル管理、清潔ケアに加えて秘書/話し相手の役目もある仕事でした。大好きだった訪問看護に近い仕事である上にイギリスで看護師資格のある同僚との申し送りやカルテ記入、電話対応などを練習することができたのでこれまた貴重な機会になりました。

看護助手から正看護師に

ようやく看護助手として念願だった急性期病院で働き始めた私は、看護師たちの申し送りを聞いたり患者さんとの会話をすることで、現場で使えるリアルな医療英会話を着々と身につけていきました。121カ国の国籍の人が働く病院組織で、いろんな国のアクセントの聞き取りに苦労したり医療英語の理解に苦しみましたが、夜勤などで時間ができた時にはとにかくカルテを読み、単語や略語を調べる努力を続けました。こうして働きながら看護師登録試験の勉強をし、IELTSとNMC CBT(Nursing and Midwifery Council Computer Based Test)の試験を突破。海外看護師がイギリス看護師として働くための最終試験であるNMC OSCE(客観的臨床能力試験:Objective Structured Clinical Examination)を受けるために病院の対策プログラムに入れてもらえることになりました。フィリピンナースに紛れてOSCE対策をし、2020年に念願の看護師になることができました。嬉しい気持ちと共にパンデミック真っ只中に看護師として働くことに緊張もありましたが、素敵な仲間に恵まれて大変ながらも楽しく看護師を続けることができました。

正看護師からナースエジュケーター(CNE)へ

正看護師になって1年が経った頃、新しい夢ができました。OSCE対策でスキルを教えてくれたり、未経験だった脳神経外科の看護に慣れるためにサポートをしてくれた「クリニカルナースエジュケーター」の仕事に憧れを持つようになりました。フルタイムで働きながら教育の資格を取得できる2年間のアプレンティスシップコース受講を始め、勉強し始めてから1年後にCNEの仕事に応募するも不合格。その後もコースの勉強を続けながら、休みの日にOSCE対策の授業を教える手伝いなどを続け、イギリス看護師5年目でやっと面接を通過し、2024年から晴れてCNEになりました。現在は平日の日勤のみの勤務で主に新人看護師や海外看護師のための研修や看護スキル習得、キャリアアップサポートを行っています。

本業以外の仕事

現在は病院でCNEをする傍ら、自分の経験を生かしてオンラインで日本の看護師に英会話を教えたり、メンタルヘルスサポートや目標達成のためのメンターをしています。もともと自己肯定感が低く、周りと自分を比べて落ち込み、失敗することが怖くて挑戦をしてこなかった私が、殻を破ってレールの無い道で自分なりの人生を切り開くことで学んだ人生観や、ズボラな私にもできた目標達成の仕方、第二言語として英語が話せるようになるためのマインドを伝授しています。少しでも昔の自分と似た悩みを持つ方の力になりたいと思っています。

私にはこれから先も夢や目標がたくさんあるので、少しずつ叶えていきたいです。

Nurse Life Mix 編集部 Nurse Life Mix 編集部

Nurse Life Mix 編集部です。「ライフスタイル」「キャリア」「ファッション」「勉強」「豆知識」など、ナースの人生をとりまくさまざまなトピックスをミックスさせて、今と未来がもっと楽しくなる情報を発信します。

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