「代理意思決定は本当に「代理意思」なのか?」本読んで考えた。(考えたひと:なぜなにナース)
公開:2025.03.10

看護の現場での体験や、本を読んで気づいたことなどをリレー形式でご紹介していきます。
初回は「代理意思決定は本当に「代理意思」なのか?」について、なぜなにナースさんが考えました。
なぜなにナース
現在、慢性期病棟で働いている看護師。それまではICU/HCUで10年以上勤務していた。新年度から再び急性期病院に舞い戻る予定。ICRN-K(集中治療認証看護師-知識認証)、呼吸療法認定士、ICLSインストラクター。本は心の栄養です。
患者さんが希望する医療やケアを受けるための「ACP」のこと
病院に入院する患者さんの中には、病状や治療によって意識がない、自身の意思表示ができない方がいます。
その場合、家族もしくは近親者が代理意思決定者として本人の代わりに意思決定(治療や方針の決定)を行います。このような意思決定を支える重要な取り組みとして、Advance Care Planning(事前医療・ケア計画。以下、ACP)があります。
ACPとは、もしもの時に備えて、自身が希望する医療やケアについて、本人を中心に家族等や医療・ケアチームが繰り返し話し合いを行うプロセスです。今回は、そんなACPの実践において直面した課題と、ある本との出会いがもたらした気づきについてお伝えします。

家族が「代理意思決定者」となったAさん
Aさん、80代男性。嚥下機能が低下し、誤嚥性肺炎を繰り返していました。経口摂取が困難となったため、経鼻胃管を挿入し、栄養投与を行っていました。急性期病院での治療が終了し、療養継続のために慢性期病院へ転院してきました。
Aさんと私が初めてお会いした際には、認知機能の低下もかなり進んでいました。そのため、自力での発語はほとんどなく、言葉によって意思表示することが困難な状態でした。そこで、家族が代理意思決定者として本人の代わりに病状説明を受け、治療や今後の方針について考えていくこととなりました。
経鼻胃管の自己抜去を繰り返す
ACPを進めていく上で、家族へ入院中にどのように過ごしていきたいか希望を確認しました。「食べることが好きだったので、できるだけ口から食べさせてほしい。穏やかに過ごしてもらえれば…」という家族からの希望でした。
すぐに言語聴覚士による経口摂取訓練が実施されましたが、嚥下機能が低下していたため、経口摂取は現実的ではないことがわかりました。
しかし入院後、Aさんは経鼻胃管を自己抜去してしまいました。経口摂取が困難な状態なので、経鼻胃管からの水分や栄養・薬剤の投与が必要でした。
家族へ状況の説明と同意を得て、ミトンを装着し身体抑制を開始しました。しかし、ミトンによる抑制があってもAさんは経鼻胃管の自己抜去を繰り返しました。抑制の種類を増やしても自己抜去は防げず、3日間毎日抜いた経鼻胃管を再挿入する状況が続いたのです。
家族看護の「家族」の中に、患者さん自身が入っている?
この頃、私は資格試験の勉強をしていました。そのとき読んでいた本の一節が、私の視点を大きく変えることになりました。
“家族への看護を考える上で、かならず「家族」に患者を入れなければなりません。”

さらにこう続きます。
“患者と家族を切り離し、家族のみにアプローチすることは陥りやすい誤りです。
なぜなら、家族の関心は患者にあるからです。患者が疼痛に苦しむとき、多くの家族も大きな苦痛を感じます。そこでまず行うべきことは、患者の疼痛を緩和することであって、家族への精神援助ではないはずです。”

この言葉に出会い、私は立ち止まって考えずにはいられませんでした。
代理意思決定者である家族に対して、日ごろの状態を共有し、精神面のサポートをすることは確かに重要な家族看護です。
しかし、本当に家族の希望は患者さんの代理意思となっているのか。繰り返される自己抜去には、患者さん自身からのメッセージが込められているのではないか、と考えました。
もう一度、家族と話し合いの場をつくる
この気づきを踏まえ、主治医をはじめとする医療従事者間で相談し、あらためて家族と現状について話し合う場を設定しました。抑制を行っている状態にもかかわらず、何度も経鼻胃管の自己抜去を繰り返しているのは、苦痛に対する本人の意思表示なのではないか、という視点を家族と共有しました。
ご家族もその点について気になっており、医師による丁寧な説明を交えながら、経鼻胃管の再挿入は行わず最低限の点滴で経過を見守っていくことになりました。抑制も外したその後のAさんは、とても穏やかに過ごしていました。それから1ヶ月ほどしてAさんは静かに息を引き取りました。
後日、家族から次のような言葉をいただきました。
「もう鼻からの管を入れずに様子を見ていくことについて悩みましたが、みなさんのサポートもあって穏やかに過ごし、逝くことができました。やはり本人も、余計なものは入れずに静かに過ごしたかったのだと思います。」
言葉にならない意思表示に気づくこと
私は看護師として、患者さんと家族の双方に寄り添うことの難しさを感じています。家族看護と聞くと、つい患者さんではなく家族への支援に意識が向いてしまうことも少なくありません。しかし、それ以上に大切なのは、患者さんを『家族』の一員として捉え、言葉にならない意思表示にも気づくことです。
この経験は、ひとつの偶然かもしれません。ただ、本の一節にあった「家族の中の患者さん」という視点は、私が今も大切にしていることのひとつです。この経験を共有することで、同じような場面で悩まれている方々の小さなヒントになれば幸いです。
編集:白石弓夏
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