インタビュー#12 中山有香里「胸のつかえがある人の気持ちが楽になればと、描くことを続けていきたい」

公開:2023.07.25

中山有香里さんインタビュー
看護師として働きながら、その知識や経験を生かして新しいビジネスを手がけたり、看護とはまったく別の世界でパラレルキャリアを歩んだり、忙しい看護の仕事をしながらでもプライベートを思いっきり楽しんだり…。ナースとしての新しい生き方をみつけようとしているナースたちの”働き方”や”仕事観”に迫るインタビュー企画。第12 回は看護書籍のズルカンシリーズでお馴染みの中山有香里さんにインタビューしました!
中山有香里さんのプロフィール

看護学校を卒業後、奈良の大学病院に就職。呼吸器内科と総合診療科、感染症内科の混合病棟で6年勤務。結婚を機に引越し、非常勤として消化器内科クリニックに転職。外来と内視鏡検査を担当。現在は看護師の仕事とイラストの仕事を兼業。
著書:「ズルいくらいに1年目を乗り切る看護技術(メディカ出版)」など

ある出来事から「とりあえず今後何かの役に立つかな」と決めた高校進学

編集部 編集部
まずは中山さんが看護師になった理由、いつ頃から目指そうと思ったのか教えてください。
中山 中山
私の母とひとつ上の姉も看護師で、まず身近に感じていたことはありますね。

だけど、私自身はというと、そんなに看護師になりたいという熱意があったわけではなく、元々は絵を描くのが好きだったので、本当は美術系の学校に行って仕事をしたいと思っていました。

それが中学3年生の進路を決めるタイミングで美術学校の卒業生の展示会を見に行ったときに、ものすごく衝撃を受けて…。

「私には描けない」と思い込んでしまい、進路迷子のような状態になっていたんです。

そのときに、姉から「看護師を目指すのもいいんじゃないか」と勧められて。

当時は「とりあえず今後何かの役に立つかな」くらいの感覚で看護系の理数コースがある高校に進学して、流れるままに看護学校に入りました。
編集部 編集部
そうだったんですね。
実際に看護学校に入ってから、看護師になってから、しんどくてつらいとかやっぱり絵の仕事に就きたいと思うことはなかったんですか。
中山 中山
大学病院に入って実際に働きはじめてからは、それどころじゃないくらい忙しかったので、看護師以外の道を今から目指すとか想像できませんでしたね。

だけど、看護師を続けていくなかで、森皆ねじ子先生の『ねじ子のヒミツ手技』というかわいいイラスト入りの本が出版されているのを知り、周りでも読んでいる人が多かったので、私もこういう本を描きたいなと思うこともありました。

周りからも「描いたらいいのに」と言われて、ちょっと挑戦してみたいなという気持ちが出てきていました。
編集部 編集部
それは今のイラストのお仕事に繋がる、最初のきっかけのようなものでしょうか。
中山 中山
そうですね、きっかけはいろいろとあります。
それまでは私自身、絵を描いて何かしようとまでは思っていなかったんです。

だけど、仕事のメモ帳やノートに自分がわかりやすいようにイラストを描いていたら、後輩や同期が「コピーさせてほしい」「私も使いたい」と言ってもらえることが多かったので、そういうことを通して自分の絵が何か役に立てるんじゃないかなと思うようになりました。

私は仕事でけっこう怒られることが多かったんですけど、自分の作ったノートはすごく褒められることが多くて、そういうことも含めてだんだんと自信がついていきましたね。
周囲の人に頼られた、中山さんのノート
中山 中山
また、中学のときに仲が良かった同級生が当時亡くなったことも大きかったです。

その子は自分の目標を持って生きている子だったので、自分もいつ亡くなるかわからない、やりたいことはやるべきなんじゃないかと思うようになって、それもひとつのきっかけですね。

ただ、大学病院のときは忙しかったので、クリニックに移って少し自分の仕事にゆとりができてから、やりたかったことに挑んでみたいなと思い、出版社にアプローチしていきました。

2度目の筆が折れることはなく、地道に出版のチャンスをつかむ

編集部 編集部
実際に出版社へのアプローチはどのようにされたんですか。
中山 中山
とにかくできることをやってみるしかないと思い、2~3か月の間は休みの度に出版社に企画を送っていました。

これまでの勉強会の資料と手描きの文を添えて、私はこういう風にお仕事をしていきたいので、絵を使ってくださいませんかと。何社出したかわからないくらいです。

最初は全然お返事もなくて、返事が来たとしても「うちは今そういう絵は使いません」というお断りだったんですけど、案外傷つかないなと思ってからは、ただただひたすら出版社にアプローチしていましたね。

それまでは自分のなかでもプライドのようなものがあって、自分の絵が否定されたり、断られたりしたらすごく嫌だなと思っていたんです。

だけど、そうこうしているうちに「じゃあお仕事しませんか」とメディカ出版さんから挿し絵の仕事をもらえることになって、ようやくイラストの仕事をはじめることになりました。
編集部 編集部
案外傷つかなかったというのは、どういう気持ちからだったんでしょうか。
中山 中山
中学3年生のときに、進路の件で筆を折ってしまったわけですけど、そこからしばらく描けなかったんですよ。

それから時間も経っていたので、少し自信はあったんです。
だけど、また筆が折れるんじゃないかと怖かったですし、やっぱり断られてしまったときはショックでしたけど、それで粉々に折れるわけではなくて、こんなもんかと受け止めている自分がいて驚きましたね。

これだったら、挑んで振られるくらい別にいいじゃないかと思うようになりました。
編集部 編集部
それで挿し絵の仕事をするなかでズルカンを作る話が出たんですね。
中山 中山
そうです。

雑誌のコラムの挿し絵や4コマ漫画を描かせてもらえるようになっていたら、あるとき編集部さんに呼ばれ、私が以前送っていた資料をみて、「これを本にする気はありませんか」とお話をいただきまして。

ぜひ作りたいですと、それがズルカンのきっかけでした。たしか看護師7年目くらいの話ですね。

信用して味方になってくれる先輩と、大変だったことを言い合える同期の存在

編集部 編集部
中山さんは以前、「新人のときに要領が悪くて、よく怒られていた」というお話をされていたことがありますが、どのようにして乗り越えて、克服していったんでしょうか。
中山 中山
特に新人の頃はプリセプターの先輩の口調がきつくて怖いと感じていましたね。

今思うと、先輩はそんなにきつく言っているつもりはなかったと思うんですけど、私自身がものすごく萎縮してしまっていて。

特に報告の場面では、報告して怒られるのも怖いし、報告しないのも怒られるし…。
もうなんで怒られているのかわからなくなって、それで悪循環に入っていた時期もありました。

だけど、夏から秋にかけて夜勤に入る前のタイミングで大きな変化があったんです。

たしか患者さんの血糖測定をして、スケールを自分で確認して、インスリンなどの準備をして先輩に報告したんです。

「この患者さん血糖値が○○で、指示簿がこうなっているので、インスリンの単位これで行こうと思います」と。

そうしたら、すごく褒められて。たぶんはじめて褒められました。

私はとにかく報告しなきゃと思ってしただけだったんですけど、先輩は次の対応まで自分で考えて準備してから報告してほしかったのかと、わかるようになってから、いい方向に動くようになって。先輩に怒られることもすごく減ったんです。
編集部 編集部
そんなきっかけがあったんですね。先輩が求めていたことが少しわかったと。
中山 中山
そうなんです。

しかも、別の日に職場でとあるインシデントが起こったときに、私が関わっていたんじゃないかと言われてしまっていたら、先輩が「いや、こういうのはちゃんと確認する子ですから」と信用して味方になってくれて…。

怖い怖いと思っていた先輩だけど、ちゃんと見てくれていると思うことができて、そこで大きく変わったかもしれませんね。今でもすごくそのときのことを憶えています。

あとは同期の存在も大きかったと思います。

新人の頃は私の帰りが22時くらいになることもあったんですけど、同じチーム同期3人はいつも終わるまで待ってくれていて。

それで同期で2階にある自販機でジュースを買って、今日大変だったことを言い合って帰っていました。

自分の気持ちの重りを一緒に抱えてもらえているような感覚で、それがなかったら看護師は辞めていたかもしれないですね。
新人時代の中山さんを支えてくれた、同期との帰り道の時間
中山 中山
今は描く仕事がメインにはなっていますけど、ずっと家に引きこもっていると心が病んでしまうので。

やっぱり外に出て働くこと、患者さんや職場の人としゃべったり、手技を忘れないように自分なりに勉強したりすることも好きなんだと気づきました。

なので、これからも看護師は続けていこうと思っています。

飲み込んでいたものが多かったと気づき、自分の胸のつかえを吐き出せるように

編集部 編集部
今は看護書のみならず、一般向けの本のイラストも描かれていますよね。
そのきっかけはなんだったんでしょうか。
中山 中山
元々、食べ物を描くのが好きで。

自分の息抜きや仕事の幅を広げるためでもありますが、疲れた人が帰り道に、謎の熊と鮭がやっている甘味処に寄って美味しいものを食べるという漫画を描いてTwitterでアップしてみました。

それが2022年に出版した『泣きたい夜の甘味処』のもとになるお話ですね。
編集部 編集部
そうだったんですね。
今読んでくださっている人のなかには中山さんって看護師さんだったんだ、ズルカンの著者だったんだという人もいそうですね。

なにかご自身で内面の変化はありましたか。
中山 中山
特に『泣きたい夜の甘味処』は私自身が看護師をしながら感じたことがもとになっているので、やっと胸につかえているものが吐き出せたなという風に思いましたね。

自分でストーリーを考えて、こういう結末にしようとなったときに、自分のことを振り返ることができた、やっと飲み込めたというか。

あまり悩んでいることを言葉にするのは得意じゃなかったので、けっこう飲み込んでいたものが多かったんだなと気づきました。

たとえば、寝たきりのおばあちゃんの手が固まっていくのに、どうしたらいいかわからない娘のエピソードは、私がみてきた患者さんがもとになっています。

誰も面会に来なくて、おばあちゃんも意識がはっきりとしないなかで手がどんどん固まっていくのを見て、この人の手はもう誰も握ってあげられないのかな。手を握ってあげる人がいたらよかったなと。

こうした胸のつかえがあって、その想いをもとに描きました。自分の経験した出来事が散りばめられていると思います。
『泣きたい夜の甘味処』に描かれたマフィンのお話は中山さんご自身の体験がベースに
編集部 編集部
中山さんが経験された出来事がもとになっているんですね。医療や看護のことについて描くなかで、特に気を付けていることはなんでしょうか。
中山 中山
もちろん個人情報には配慮しますが、具体的な病名や薬品名、治療方針などは書かないようにしていますね。

あえて具体的に出さずに、輪郭をぼんやりとさせていたほうが自分ごとに感じられる人が多いと思うんです。

心情や表情は具体的にできるだけ細かく描くんですけど、出来事に関してはあえて具体的に描かないようにしています。
編集部 編集部
その具体と抽象のバランスが難しそうですね。
具体的に描いたほうが自分ごととして受け取ってもらいやすいのかなと思っていました。
中山 中山
具体的に描いたほうが患者さんの背景が見えてくると思うんですけど、ズルカンの本を書いていたときに、監修の医師から「いたずらに不安を煽ってはいけないよ」「誰がみるかわからないから、看護師だけじゃなく患者さんや家族がみるところまで想像して書かないと」とよく言われていたんです。

それが強く印象に残っていて、自分が本を描くにあたって常に考えていかないといけないなと思うようになりました。
編集部 編集部
とても大事なことですね。
それでは最後に読者へのメッセージをお願いします。
中山 中山
私自身、なぜ看護師になったのかわからないまま続けていて、今でも看護師に向いているとは思っていないんですけど、こんなに怒られまくっていた私でも看護師を続けてこられています。

まさか好きなイラストの仕事もしているとは思ってもみなかったですが…。
もし、しんどくて苦しい思いをしていても、自分の道や居場所はそこだけじゃないんだよというのは、伝えたいです。

また、私としては自分が生きていくなかでいろいろと胸につかえていること、感じることを自分なりにストーリーやイラストにのせていきたいなと思います。

そして、同じように何かを飲み込んで、胸につかえてしまっている人の助けに、誰かの気持ちが楽になるんだったらと、これからも描くことを続けていきたいです。
編集部 編集部
中山さんの優しさが詰まったイラスト、これからも楽しみにしています。ありがとうございました!

聞き手・ライター:白石弓夏


看護師兼ライター。小児科や整形外科病棟で10年以上勤務。転職の合間に派遣でクリニックやツアーナース、健診、保育園などさまざまな場所での看護経験もあり。現在は非常勤として整形外科病棟で働きながらライターとして活動して5年以上経つ。
Share
FacebookTwitterLine
ページのTOPへ