#04 頭から湯気が出るほど人生で1番頭を使った日

公開:2023.06.08

学生結婚、子供3人と猫2匹、転職5回の主婦が35歳で看護学校に入った話 4話

看護学校は狭き門だと目の当たりにする

看護学校受験当日、2教室に会場が分かれていて、1教室40名くらいだったので、全体の受験者数は、80名くらいだったように思います。

私が受験したのは入学試験第3期です。その中でも、さらに受験枠がいくつか分かれており、大学・短期大学自己推薦枠、社会人自己推薦枠、施設長推薦、とあり、私は施設長推薦枠での受験でした。施設長推薦とは、医療機関や施設などで働いている方が、その施設の長に推薦状を書いて貰わないと受験資格が得られないという受験枠です。

1回の受験でどれくらいの人数が合格するのか、受験項目の中で合格者の内訳がどうなっているのかはわかりませんし、その時々によっても違っていました。私が受験した回の施設長推薦枠での受験者数は13名。病院の医療事務の人、介護士の人、歯科技工士の人、看護助手の人など、医療関連施設で働いている人ばかりが集まりました。中にはもう3年ほど受験し続けているという方も。

この看護学校の試験回数は全部で6回と記憶していますが、最終的に全部で40名が合格します。試験6回で合格者40名。つまり、試験1回あたりの合格者は10名もいない狭き門ということになります。

午前の現代文、案の定手ごたえなし

現代文はぎりぎりまで勉強を重ね、ぎりぎりまで理解しようと努力したのですが、家庭教師を頼んでも、やっぱりよくわからないというか、現代文ってなんだろうって沼に陥ってしまって、解ける問題すらも解けなくなって受験当日を迎えてしまいました。

実際に、試験が始まったら、案の定わからない。解き進めるも、正しいのか、正しくないのか、手ごたえないまま解きました。漢字は8割は解けた記憶がありますが、「夏目漱石」という漢字の「漱」が書けなかったことを今でも覚えています。

現代文の参考書
最後まで苦しめられた現代文

休憩中に前の席の受験生と歓談

休憩の時、お弁当を食べ始めると、前の席に座っていた、同じ施設長推薦枠で受験していた20代の男性が、後ろを振り向いてご飯を食べ始めました。ちょっとびっくりしましたが、緊張がほぐれた事を覚えています。

その男性は、後にクラスメイトになるのですが、その時は残念ながら不合格になりました。話を聞くと、普段は歯科技工士さんをされていて、3年間くらい何回も受験していているとか。

その時、何年にも渡って受験している人がいるという事を初めて知り、社会人入学が簡単なことではないことを改めて思い知ったのでした。余談ですが、社会人入学したクラスメイトの中には、同じく何年も受験し、予備校に通って合格したという人もいました。

グループディスカッションは会話の奪い合い

午後からグループディスカッションの試験がありました。7人1テーブルで円になった机と椅子が用意されており、順番に座りました。

グルーディスカッションで大事なこと、それは協調性とリーダーシップです。目立ちすぎて自分本位になってもいけないし、周りの人に気配りしつつも、自己主張をしなければいけません。

試験でのテーマは「社会性とは」。社会性についてフリートークで30分話をするという内容でした。自己紹介からまず始めるのですが、自己紹介は3分間で全員が回るようにと指示がありました。単純に考えて、3分180秒を7人で割る訳ですから、1人20秒くらいで話すのが良いです。順番は私が一番最後でした。

順調に自己紹介がスタートしたのもつかの間、1人20秒くらいという事を全く考えていない人が、1人でかなり長い自己紹介をされました。その後も長い自己紹介をする方が数人いて、なんと次が私の番という所で3分終了となりました。

さて、ここからどうやって協調性とリーダーシップを発揮するかと思っていた矢先、私の前に自己紹介をした方が口火を切り「この方の自己紹介が終わってから社会性について考えませんか?」と言いました。心の中で私は「やった!」と思いました。自己紹介をした流れでそのまま社会性について第一声言える、そう思ったからです。

自己紹介を簡単にして、そのまま「では本題の社会性についてですが、私は社会性というのは、、、」というような形で話ました。するとすぐに別の方に話す権利という名のボールは渡り、その後も次々にボールは別の人には回り始めました。

もう、それはキャッチボールというような悠長なものではなく、ボールの奪い合いでした。頭から湯気が出そうなくらい、取って、取られて、取り返してを皆が繰り返していたかと思います。そこで冷静になり、周りを見渡し、まだ発言していない方に声を掛けて発言権をパスしました。

全員1回は会話した事を確認したら、また制限時間ギリギリまで社会性についての発言の奪い合いは続き、「終了です。」と言われたとき、汗だくで、顔は紅潮し、頭から本当に湯気が出ているのではないかと思いました。さっきまで奪い合っていた方々も、皆で「お疲れ様でした!」と拍手した記憶があります。

最終の個人面接。やる気を伝えたい。

午前中に現代文の試験を受け、昼休憩を挟みグループディスカッションをした後、14時から願書を提出した順番に最後の試験である個人面接が始まりました。

私は、やる気を伝えたいと思い、願書を出す順番からやる気が伝わるかはわかりませんが、願書を受け付け当日の朝一番に速達で送りました。面接は願書提出順とのことで、どうやら1番に願書が受け付けられたようで、1番に呼ばれました。

これまで社会人経験もあります。面接は何度も受けてきているので慣れているつもりでしたが、入ってすぐ、自分のペースが乱れました。というのも、これまでの面接は、面接官の方が、私が話している時は、うなずいたりしてくださったように記憶していたのですが、看護学校の教員2名が面接官で、凍りつくような無表情で、うなずきもなく質問に答える私の発言を聞いているので、調子が狂った事を覚えています。

聞かれた内容は、なぜこの歳で看護師になろうと思ったのか、なぜリハビリ助手をしているのに、理学療法士になるのではなく看護師になろうと思ったのかなど、事前に聞かれると予想していた事を予想通り聞かれたので、すらすらと答えられました。

その後、学校に通う学費、通っている間の子育て、家事はどうするのか、年齢が卒業時は38歳だが就職はどうするのかなどの質問を受けました。学校に通う学費は職場の病院が奨学金として出してくれる事、就職は職場の病院へ戻る事が決まっている事、子育てと家事は夫と協力していくことを伝えました。

社会人からの入学では学費と、就職が問題視されており、学校も一緒に探してくれるのですが、就職先を探すのに苦労したという話を、オープンスクールで聞いていたので、その問題がクリアになっている私は、少し有利ではないかなと思いました。

グループディスカッションでも汗をかき、面接でも嫌な汗をかきましたが、自分のやる気と、看護師になりたい気持ち、素質があるのではないかと自分で思っている事などを真っ直ぐに伝えて面接は終了しました。

合格発表は1週間後

個人面接を受けて14時過ぎには学校を後にしました。家に帰ってからは、出し切った事もあり、とにかくぐったりして、もう受験の内容を家族に話すのもしんどかったように思います。

合格発表は1週間後。10時に学校に貼りだされ、12時にインターネットで発表です。少し学校が遠い事もあり、インターネットで発表されるのを待とうと思っていました。

その日は事前にパートを休みにして、普段の休み通り家事をして、11時55分ごろ、ホームページを開き、12時になったらリロードするように、ドキドキしながら、背筋を正してパソコンの前に座っていました。

ちづ ちづ

家庭あり子供3人の主婦が38歳で看護師になりました。
セカンドキャリアに看護師を選んでこの春で7年目。
毎日勉強しているノートの投稿が中心のインスタグラムのフォロワー数は5万人越えです。

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