#05 そうこの場合

公開:2024.11.23

あの日わたしが見たナース
わたしたち(患者&その家族)には、あの時に出会った看護師の方に言えなかったありがとうがある。

その方自身にとっては当たり前のことだったのかもしれないけど、わたしたちは嬉しかったり、安心したり、素敵な瞬間だった。

特集「あの日、わたしが見たナース」では、実際にあったそんなエピソードを描き、今この日々を頑張るすべての看護師の方への感謝と共に捧げます。

第5回は、そうこさんの愛する家族ををケアしてくれた訪問看護師さんとのエピソードを紹介します。

夫の最期に寄り添ってくれた訪問看護師さんに感謝を込めて

二年前、夫の病状が深刻化し始めたときに訪問看護師さんに出会いました。

医師から「最期の看取りの準備が必要です」と宣告されたとき、自宅でその時を迎えることを選んだのは、夫と共に過ごす時間を「私らしく」過ごしたかったから。

家で看護をするにあたり、訪問看護師の彼の存在は、私たちにとってかけがえのない支えでした。看護師としてのサポートだけではなく、私や家族の気持ちに寄り添い心の重荷を分かち合ってくれました。

看護師の彼は、夫の日々の小さな変化を見逃さず、いつも私が思いつく少し先を行くアドバイスをしてくれました。また、時には雑談を交え、肩の力を抜いて話ができるひとときも作ってくれました。重くなりがちな介護の日々の中で、そんな会話がどれほど私を救ってくれたか、数えきれないほどです。辛い瞬間もあったけれど、笑い合えるひとときを作ってくれたことは、私の心を軽くし「楽しい介護」に変えていってくれました。

私たち家族が最期の瞬間まで穏やかに過ごせるよう、丁寧なケアで見守ってくれました。病院ではなく、自宅という場所で夫を見送るため、私が、「私らしく」夫に向き合うために欠かせない存在だったと感じます。

訪問看護が始まってから3か月が経ち、夫の息が次第に弱くなり、自力で呼吸ができなくなったある日、私は夫のそばでつきっきりで体をさすっていました。看護師の彼が訪問し、夫に声をかけてくれたそのすぐ後に、夫は静かに、穏やかに息を引き取りました。

看護師の彼が側にいてくれることで私は本当に安心できていたのですが、夫もまた、その存在を感じ、安心して旅立つことができたのだと思っています。

私は六年前、父を病院で見送った経験があります。実は、そのときの不安や医療機関への不信感がずっと心に残ってたのですが、今回の訪問看護でそれが洗い流されるほどの経験になりました。

私たち家族にとって、この看護師さんはただの「訪問看護師」ではありませんでした。彼は、心から信頼を寄せられる人であり、夫の最期の瞬間をともに見守ってくれた特別な存在です。安心とともに介護のつらさを和らげてくれた彼に深い感謝の気持ちを伝えずにはいられません。

文:そうこさん
イラスト:せきやよい
せきやよい せきやよい

ストーリーを感じられる人物描写や日常に寄り添うあたたかみのあるイラストを制作。挿絵、広告、ループアニメーションからMV制作など幅広く活動。

Share
FacebookTwitterLine
ページのTOPへ