#02 看護師を目指す事になったきっかけは突然に
公開:2023.04.28
学生結婚、夢をあきらめた就職、そして出産
私は、高校生の時からマクドナルドでアルバイトをしていました。普通のクルーから高校2年生の時お客様係になり、高校3年生で教育係も兼任し、短大に入ってからはバイトのマネージャーに。
短大は幼稚園の先生になりたくて、児童教育学科に通っていましたが、夫と学生結婚をすることになりました。そのため、幼稚園へは就職せず、そのままマクドナルドに就職しました。その後、長女を出産するために退職。
私は目の前の多重課題に優先順位を付けて並行して行う事が得意なのですが、そのスキルはマクドナルドで身に付けたと言っても過言ではないです。
3人の子育てをしながら在宅ワーカーに
2000年に長女を出産、2002年に息子を出産しました。子育てをしながら何か家計の助けになる事ができないか色々と考えた結果、在宅で出来る仕事として、自分でネットショップを立ち上げました。結婚式の招待状などの紙製品を作ってネットで販売する仕事を2年間ほどやり、2005年に次女を出産。
2006年からは新たにウェブライターの仕事を在宅でやっていました。さらに、それと並行し年に8回だけTOEICの試験官の仕事のアルバイトを始めたのですが、試験官から副責任者になり、看護師になるまで続けていました。
子育て後の自分の人生を考え悩む日々
結婚が早く、マクドナルドでしか働いた事がなかった私は、在宅での仕事を行うと同時に、子育てが一段落した後の自分について色々と考えていました。
子育て後の再就職に役に立つかもしれないと、独学で勉強できる資格をいくつか取得しました。秘書検定とサービス接遇検定です。サービス接遇検定は接遇という言葉が世の中に出始めた頃のブームに乗り、その素晴らしさに感銘を受けて、1級まで取得しました。
子育てが一段落したら何をしようと当時はよく考えていて、アパレルに勤めていた友達にアパレルの仕事はどのようなものなのか聞いたり、真剣に就職しようか迷ったり。また、ブライダルの仕事を在宅でやっていたこともあり、ブライダル関係の仕事にも興味がありました。近隣に新しい結婚式場が出来た時はオープニングスタッフの募集に、履歴書を送った事もあります。
結局、年齢的にブライダルプランナーよりも営業職で来てもらえなえないかと言われ辞退しましたが、もしあの時行っていたら看護師にはなっていなかったかもしれません。
リハビリ助手として病院に就職。医療の道に
そんなこんなで色々行動したり、悩んだりしていたのですが、息子が習っていたテニススクールで看護師への道につながる仕事に就くきっかけがありました。そのスクールに通っているお子さんのお母さんから、近くの病院でリハビリ助手の仕事をされている話を聞いたんです。
話を聞いてみると、資格不要で、とてもやりがいのある仕事だと思い、それを伝えたところ、ちょうど欠員が出るとのことで誘ってくれました。それがリハビリ助手になったきっかけであり、医療従事者になった始まりでした。
パートで朝9時から13時まで物理療法という、外来でリハビリを受ける患者様にホットパックをしたり、電気をあてる、腰や首の牽引をするのが主な仕事でした。働いていくうちに、リハビリの理学療法士、作業療法士、言語聴覚士さんと関わる事も多く、また外来の看護師さんとも関わる事がありました。
これまで医療業界で働いたことがなかった私にとって、とてもやりがいのある仕事を見つけたと思いました。家からも近く、家庭とのバランスもとれる仕事ではありましたが、子供達が大きくなってきて、パートではなく、正社員で働くことが出来ればいいなと思い始めました。
しかし、リハビリ助手の仕事はパートしかなく、この病院で正社員で働くことを考えたときに、周りの人に看護師が向いているのではないかと言ってもらいました。
子育て後に看護師の夢を持った人との出会い
当時の職場の作業療法士さんの奥様も、同じ様に子育て後に何か資格を取得して働きたいとお考えで、看護学校を受験しようと考えておられるという話を聞きました。作業療法士さんの勧めで、奥様と話をする機会をいただいて、お話しする事になりました。
奥様自身は、今すぐの受験を決めておられた訳ではありませんでしたが、私はどんどんやってみたいという気持ちが湧いてきました。少し年齢が私より上の奥様でしたが、チャレンジしようと準備されている姿を見て尊敬したことを今でも覚えています。
そのようなことがあって、私の中で看護学校受験が現実味を帯びてきました。看護学校を受験したのが2013年秋、この方にお会いしたのがその年の5月頃だったかと思います。
実はこの1年前に、一度看護師になろうかなと、家族に相談した事がありました。その時に実現しなかったのは、私もまだイメージがあまりできていなかった事、看護学校に通う3年という時間が勿体ないと思えていたからです。
しかし、長い人生、子育てが終わってからの再就職先はもしかすると25年くらい働くことになるかもしれない、そのうちのたった3年と思えた心境の変化も、実現に至った事の要因の一つです。
「看護師になりたい」家族に母の夢を伝えて
看護学校受験は自分だけでは到底決める事が出来ないです。まずは、家族に看護師になりたいと思っている事を伝えました。
当時の私は、出来るだけ賛成してもらえるように、メリットをとにかく伝えて良い印象を与えたいと思っていました。看護師になったら給料が上がる、安定して働ける、やりがいがある、長く続けられる事を全面に出して家族に説明しました。
しかし、良い事ばかり話をして実際に始まってみたら大変だったと思われないように、デメリットも話しました。看護師になるまでに3年間仕事を辞めて朝から夕方まで、月曜から金曜まで子供たちと同じ様に学生になるので学校に通う事になる事、試験も実習もあって、勉強もしないといけない事も伝えました。
これまでは帰ったら、家に母親がいる生活しか知らない子供達にとって、帰った時に母がいない、学校に通うので大変になるかもしれない、というのは少々不安があったと思います。夫も家事、子育ては私が担っていたので、これからは協力をしてもらわないと絶対に立ち行かなくなる事も伝えました。
一度目に話をした時よりも、断然現実味を帯びた事、私自身がその生活をイメージできていたこともあり、家族は応援するしかなかったと思いますし、協力するしかなかったと思います。
でも、その後待っている受験という大きな壁と、看護学校に入ったら入ったらで波乱万丈な学生生活が待ち受けているとは、この時は誰も、私自身も全く想像もしていなかったです。