#02 看護師の国家資格に潰されるな、使え。

公開:2023.05.01

美容看護師ユナの奮闘記2
みなさんは看護師という国家資格を努力して取った結果、看護師として生きていかなければならないというマインドブロックが生じ、自分の可能性を狭めていませんか?

例えば・・・

新卒で入職した病院が合わずに退職してしまった時。
様々な理由で体や心を壊してしまい、看護師が続けられなくなった時。
看護師以外の仕事をしてみたくなった時。

「看護師=自分」と捉えて、看護師としてうまくいかなくなった自分を否定してしまったり、その先の自分の可能性を狭めたりしてしまうのはもったいないと思っています。

私も実はそのひとりでした。
今を悩みながら生きている届くべき同志にこの文章が届くことを祈りながら書いてみます。

今回はみなさんが取得した看護師という資格を大事にしながら、こんな風にキャリアを歩むこともできるというお話をしていきたいと思います。
美容看護師のyuna

看護師を目指した理由

私は未熟児で生まれ、虚弱体質だったため1歳までは入退院を繰り返して過ごしていました。そのため、幼い私にとって病室が”もう一つの家”であり、看護師が家族よりも一緒に過ごす存在でした。大きな出来事があったというよりは、看護師が1番身近な存在だったという理由で将来の夢を聞かれるころには「看護師さんになる!」と答えていたそうです。

幼いころに皆さんもよくやったのではないかと思うおままごとやお母さんごっこが私は病院ごっこでした。リカちゃん人形を切り刻んで手術ごっこをしたり、裁縫の針を刺して点滴ごっこをしたりしていたので、母は私の精神状態を心配して病院に連れて行こうか迷ったそうです(笑)

看護師を本気で目指すきっかけになった母の一言

物心がついた時から目指していた看護師という職業ですが、高校生の頃のドラマがきっかけで一度だけキャビンアテンダントという職業を目指したことがあります。ただ、当時母に看護師になれば空を飛ぶこともできるし(フライトナース)、一生働く場所に困らないから看護師になりなさいと説得され、看護大学を受験することになりました。今ではこの選択と母の説得に感謝しています。

天職だと思った看護師が続けられなくなった

ずっと夢だった看護師だったので、看護学生の時も授業は楽しく、実習も苦しいながらに楽しさを見出していました。勉強もやらされている感覚から、自分が学びたいから学ぶという感覚に変わったのも看護学校に入ってからです。絶対にここで働きたいという第一希望の病院に就職が決まり、人事の方から見て私にマッチした外科へ配属が決まり、新人時代が始まります。

病棟の中でも私が配属された外科病棟は、勉強量も多く、厳しく、きつく、大変といわれていたそうです。ただ、無我夢中で過ごす中であっという間に3年がたっていました。もちろん色んな壁がありましたが、看護師は楽しい、看護師は天職と思っていたので職場の先輩達からも「ユナちゃんは辞める心配がなさそうだね」と言われていたくらいでした。

それが突然、ぷつっと糸が切れたように病院へ行けなくなりました。最初は夜勤の数が増えて昼夜逆転して朦朧とした日々を過ごす中で体中に蕁麻疹が慢性的にでるようにあり「あれ?なんか体がおかしいな?」と思ったのがきっかけでした。そのうち円形脱毛症になり5円玉だった脱毛が手のひらくらいになった時、ボディイメージが傷ついたせいもあるのかもしれません、働いている最中に涙が出ることが増えました。見かねた先輩が「最近のユナちゃんはおかしい。患者さんを任せられない、話そう」と声をかけてくれ、はじめて他人に話した時、心が壊れ始めていたことに気が付きました。

師長さんに少し休みたいと相談をすると、当時は人不足で病棟が大変だったこともあり、「髪の毛が抜けたからなに?休んだら治るという保証はある?みんな大変なのはわかるよね?患者さんの命はどうでもいいの?どれだけ自分が無責任なのかわかる?」とおしかりを受け、予想外の言葉にひどくショックを受けたのを覚えています。その翌日から耳が聞こえなくなり、めまいで立ちあがれなくなり、職場にいけなくなりました。
この日が私にとって最後の病院勤務となりました。

沢山経験した今では当時の師長さんが本当に誰よりも大変だったことが身に染みてわかります。そんな言葉をかけなければならないくらい師長さんも追い詰められていたのだと思います。

海外を旅した話

近くの心療内科をかかり、1か月の休職を言い渡されました。ただ、当時は病院の寮に住んでいたこともあり、職場の人と顔を合わせる環境に心が休まらない感覚がありました。1か月休んでも体調は変わらなかったので、さらに休職が延長となり、実家に帰ることになります。

地元の北海道で休みながら心療内科にかかっていましたが、当時の担当医に「ユナちゃんはまだまだ病棟のみんなに申し訳ない、早く戻らないという気持ちが大きいね。」「いっそのこと海外へ飛んじゃって、だれもいない世界にいってみたら?」とアドバイスをもらいます。先生が本気だったのか、冗談だったのかはわかりません。その帰り道に死ぬ前に行きたい場所だったハワイ行きの飛行機を取りました。

目的は1人になることだったので、ハワイに行ったとも何をするでもなく、ただ毎日海にいき、本を読み、波を眺める日々を過ごしました。
「看護師を目指したきっかけはなんだった?」「病院で抱えていた葛藤はあった?」「本当はどんな生き方がしたい?」「死ぬまで病院の看護師として働きたい?」「どんな人になりたい?」本当に様々な対話を自分としました。毎日それを続けるうちに1か月後には、病院には戻らないという覚悟に変わりました。

看護師+αの働き方とは – 海外から帰ってきて気持ちがわかってから取った行動

ハワイから帰ってすぐに病院に退職届を出しに行きました。自分と対話をする中で、看護師という国家資格に潰されそうになっていたという大きな事実に気付くことができました。
病院で働けない自分のことを否定し、人生が終わったように感じていたのは気のせいでした。もう病院の看護師には戻らない、そのために国家資格に使われず、使いながら自分らしい生き方をすると決めました。

その後の仕事のスタイルの変化や実際に経験してきたこと

学生の頃から医療のことしか学んでおらず、病院という小さな世界しか見たことがなかった自分の視野の狭さを打破するために、週2~3で看護師、それ以外を企業、そして休みの日をセミナーなどの発信に割くというパラレルワークをフリーランス看護師として活動することしました。

はじめは看護師を完全に手放そうかと思いましたが、生活のことを考えた時に、看護師の給料は非常にありがたいことに気が付き、国家資格を上手に使うことにしました。

その後、紆余曲折あり、今はクリニックのプロデューサーと、悩める看護師の転職サポートを主に仕事としています。

全ての看護師に伝えたいこと

・働き方を変えたことが自分にとってどうだったか

休職中に私には病院の看護師として働く道しかないと思い込んでいたら、今の私はきっとありません。国家資格を取ったからといって看護師にならなくてもいいし、続けられなかったら辞めて他の仕事をしてもいいし、週に3回バイトをしたら食べていけるだけの給料は頂ける、病院以外にも生きる道はいくらでもあると知る大きな経験という財産になりました。

・その経験を通して若手看護師たちに伝えたいこと

もし今、あなたが働き方や身を置く環境で苦しんでいたら、どうかこの言葉を思い出してください。

もし今、あなたが看護学生でこれから看護師を目指すのであれば、この言葉を心の片隅に置いておいて下さい。

もし今、あなたが後輩を持ち、スタッフの教育をする立場であれば、この言葉を忘れないでください。

「看護師の国家資格に潰されるな、使え。」

看護師の資格は無敵です。離れてもいつでも戻れます。

自分が咲ける場所、咲きたい場所へ軌道変更することを恐れずに生きてください。

Yuna Yuna

美容看護師。美容クリニックの立ち上げと看護師のキャリアをサポートする会社経営も行っている。自分軸の美容・マインド・思考を日々発信しています。
夢は美容領域が看護師の正しい選択肢として認められるようになること。

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