インタビュー#17 しゅーぞー「頑張っている看護師が報われるような業界、組織づくりをしたい」

公開:2023.10.09

頑張っている看護師が報われるような業界、組織づくりをしたい
看護師として働きながら、その知識や経験を生かして新しいビジネスを手がけたり、看護とはまったく別の世界でパラレルキャリアを歩んだり、忙しい看護の仕事をしながらでもプライベートを思いっきり楽しんだり…。ナースとしての新しい生き方をみつけようとしているナースたちの”働き方”や”仕事観”に迫るインタビュー企画。第17 回は救急、集中治療に関する発信をしているしゅーぞーさんにインタビューしました!
しゅーぞーさんのプロフィール

看護大学卒業後、救命救急センターでICUや救急外来、ドクターカーの活動など含めて8年勤務。その後、元プリセプターが管理職をしていた病院に転職し、ICUで主任業務を経験。現在は家から近い病院に転職し、ICUで勤務。「看護のススメ」というアカウントで救急、集中治療室で経験した学びを発信中。

もう一度この人と働きたい、救命救急で働くなかで自分の軸となった出会い

編集部 編集部
しゅーぞーさんは長らく救急、集中治療分野で働かれていますが、それぞれ転職したきっかけや経緯はどのようなことだったのでしょうか。
しゅーぞー しゅーぞー
最初に勤めた救命救急センターがある病院は、実は中高の同級生で高校卒業して消防士になったやつがいて。

その同級生が救急隊の配属になって救急車に乗っていたので、「どこの病院がいいのか」と相談したことがきっかけでした。

それから病院見学をして入職を決めて。救命救急センターの配属となり、ICUにいながら持ち回りで救急外来の勤務もしていました。

看護師6年目くらいにはドクターカーに乗ってプレホスピタルとして病院外の活動もして、順調にステップアップしていったと思います。

当時は、救急に関する知識やスキルは頭打ちかなと考えていて。

救命救急センター時代の管理職やプリセプターの先輩がいい意味で強烈な人たちで、その出会いが今後のキャリアを考えたきっかけでもあります。

管理職の人は、熱意を持って理論的にマネジメントをするタイプで、公平性を大事にしていたので、なかには嫌がって反発するスタッフもいました。

当時の病院は古い体制で組織が発展していかないと感じていたので、中堅やベテランからの不満もかなり強くありました。

そういう状況がずっと続いていたので、だんだんと管理職やマネジメントに興味が湧くようになったこともあります。
編集部 編集部
そうした環境があったんですね。ちなみにプリセプターの先輩はどのような方だったんですか。
しゅーぞー しゅーぞー
プリセプターの先輩はとにかく厳しい人でした。

看護師4年目くらいの男性看護師で、すごく先を見越した指導をしてくださっていたと思います。

新人時代に1年だけしか一緒に働いていなかったですが、当時教えてくれたことがすごく自分のなかの軸になっていると思います。

その先輩が別の病院で専門看護師になり、ICUで師長をしていて、たまに連絡を取り合っていたんですが、あるときたまたま学会で会う機会があったんです。

そこで、話をするなかでさらにパワーアップした先輩を目の当たりにして。

「もう一度この人と一緒に働きたい」という気持ちになり、その人がいる病院に転職したのが、看護師8年目の終わり頃でした。
編集部 編集部
すごい再会ですね。それからまた同じ病院で働き始めてどうだったんでしょうか。
しゅーぞー しゅーぞー
一緒に働くなかで私も主任となって、特定行為を受けにいくなど、いろいろなことを経験しました。

しかし、病院や法人の体制がかなりブラックで、帰属意識が薄く、働くスタッフのモラルが崩壊していたんですね。

そのなかでも自分は「いつか変えられる」と思って声をあげていたんですが、だんだんと看護師の仕事自体が嫌になってきてしまって、自分の正義を貫けなくなって…。

そもそも自分がおかしいんじゃないかと思うくらい病んでしまいました。

自分の師匠でもあった先輩も能力があるのに評価されずにいて、結局辞めたこともあり、私も退職しました。

それで今は家から近い病院のICUで働き始めています。

今の病院は医療の質的には決して高いとはいえませんが、病院の歴史が浅いなかでもスタッフも素朴で真面目な人が多いので、楽しく働いています。

母親、管理者、プリセプターから教わったこと

編集部 編集部
そもそも救急や集中治療で働く理由は、看護師になったきっかけとなにか関係しているのでしょうか。
しゅーぞー しゅーぞー
元々おかんが看護師なんですよね。

それで昔から仕事の話を聞かされていて、中学生くらいの頃にはもう医療職になるんだと思っていました。

やっぱり母親の背中を見て育ってきたのが大きかったですね。

自分が中学1年生のときに父親がくも膜下出血で亡くなって、そこから男3兄弟を育ててくれて、すごいなと思っていたので。

夜に本を開いて勉強している姿を見て大変そうだとは思いつつも、それだけ没頭できる、人に話したくなる仕事なんだろうと思っていました。

それで、身近な人になにかあったときに、自分もなにかできるようになりたいという気持ちから、救急で働こうと決めていましたね。
編集部 編集部
なるほど。
お母さまが看護師で、その背中を見て育ったと。

しゅーぞーさんは、いろんなお手本となるような身近な人がいたという印象があるのですが、たとえば最初の病院で出会った管理者やプリセプターの先輩から学んだことについて、もう少し詳しく聞いてもいいですか。
しゅーぞー しゅーぞー
最初の病院の管理者は、公平性を大事にしていたので、たとえば勤務表作成のルールとかすごく厳しかったんですね。

勤務希望の期日を守らない人がいると、自分たちで話をしてから管理者に持ってこいとよく言っていました。

ただ、管理者として公平性を上から押し付けるというよりは、自分らで考えさせて調整し合う、支援し合える関係性を作ろうとしていたんだろうなとは思います。

その人からは問題の本質や問題解決型思考を学びました。

そのおかげで、一時期業務改善の委員みたいなことをやっていたんですが、PDCAサイクルを回しながら問題点をしっかりと掘り下げることができたなと思います。
編集部 編集部
実際にそれによって、職場でなにか変化はあったんでしょうか。
しゅーぞー しゅーぞー
スタッフが賢くなったとは思いますね。

問題を考える、マネジメント的な視点も含めて考えられるようになったと。

だけど、それによって次に新しく来た師長さんがまた違ったタイプの人で、大変だったと思います。

そのときに思ったのは、その人がいるからできるルールを作ってしまうと、その人がいなくなったときにうまくいかなくなってしまうと。

先ほどの勤務表もすごくいろんなことが考えられていて複雑だったんですね。

それが新しい師長さんではもう使えなくなってしまったので、こういうこともあるんだなと勉強になりました。
編集部 編集部
そうだったんですね。
プリセプターの先輩とは最初の病院と、2つ目の病院でも一緒に働かれていましたが、なにか印象に残っている出来事はありますか。
しゅーぞー しゅーぞー
看護師1年目のときは、本当に今考えてもやばいやつだったと思うんです。

何も持っていないのにプライドだけはあるみたいな。他の人からできると思われたい気持ちや同期に負けたくない気持ちが強くて。

プリセプターの先輩はそこを見抜いて、1つひとつ叩き直してくれました。

そのなかでも一番覚えているのは、働き始めて3~4か月くらい経った頃に、突然「お前、感謝って言葉を知ってるか」とだけ言われたんです。

一瞬、え?と思いましたね。
自分なりに「ありがとうございます」と言っているつもりだったので。

それから少し経ったある日のこと、ベースンにお湯を汲んで清拭をしていたんですね。

それでベースンを洗って片付けをしているときに、めちゃくちゃ久しぶりだなと気づいて、ハッとしたんです。

久しぶりってことは、ずっと誰かが洗ってくれていたんだって。

そのときに、自分の知らないところでいろんな人が動いてくれていて、だから自分は仕事できているんだと思って、これは感謝やなと気づいたんです。

それから「ありがとうございます」の質が変わったんでしょうね。

周りの反応も変わるようになってきて、今思うと当たり前のことなんですけど。

本当にその先輩は厳しかったんで、ずっと嫌いだったんです。

だけど、その先輩から言われていたことが、だんだんと経験を積んでいくうちに全部繋がってきて、「あぁこういうことやったんやな」と。

それでひとつ思い出しましたが、「自分の勤務帯だけで患者をよくしよう、よくできると思ったら大間違いやぞ」みたいなことも言われましたね。

自分がひとりで突っ走るタイプだったんで、ICUは1人で2床みているんじゃなくて、5人で12床みているんだっていうチームで働くこととかよく言われていました。

それは今でも、自分が後輩によく伝えていることですね。

無限にある可能性を感じたSNSでの発信

編集部 編集部
しゅーぞーさんは、数年前からInstagramとYouTubeなどで発信をしていますが、そのきっかけについて教えてください。
しゅーぞー しゅーぞー
2か所目の病院を辞めて、次の職場で働くまでに3ヶ月ほど期間があったんです。

そこで施設のバイトをしていたり、勉強したりしていたんですが、アウトプットする場がないなと思っていて。

ちょうど資料作成がてら、やってみようかなと思って始めました。

元々はInstagramでも救急・集中治療分野で投稿している人はほとんどいなくて。

少し前まで自分も教育担当のようなこともしていて、教え方とか伝え方なども工夫していたので、日々現場で教えてきたことをそのまま載せていました。
しゅーぞーさんのインスタグラム
しゅーぞーさんのInstagram
しゅーぞー しゅーぞー
普段の勉強会だったら、頑張って資料作ってもせいぜい院内の10人くらいしか見ないけど、SNSだったらそれは無限になるわけで、すごく可能性も感じましたね。

しかも、リアクションがあって励みにもなって。発信をしていくなかで、同じように投稿している人との出会いもあって刺激もありました。

それまでは、自分は知識やスキル的にももう頭打ちなのかなと思っていたんですけど、全然そんなことはない。

すごい人はいっぱいいるだなって、自分の小ささを知りましたね。

それで、今の病院で働き始めてからも思いのほか資料を作ることが習慣になっていて、そのまま続けている感じです。
編集部 編集部
しゅーぞーさんは主任をしていた時期もありましたが、その経験もあったからこそ伝えたいこと、伝えていきたいことってありますか。
しゅーぞー しゅーぞー
SNSだと看護師の情報ってネガティブなもので溢れていると思うんですよね。

看護師、辞めたい、しんどいとか、それで転職に誘導していく。

さらに現場は疲弊して、お金も吸い取られてという構図がすごく問題だなとは思っていて。

しかも、現場が魅力的な場所になっているかというとそうではなくて。

やっぱり変えるべきは管理者だと思うんですよ。そして、突破口となるのは中堅看護師だと。

中堅看護師がやりがいもなく、面白くなさそうに仕事していたら、新人さんも面白くないですよね。
頑張った結果あんな感じかって。

なので、その中堅看護師のやりがいを見出せるような職場づくりができたら、いろんなことが好転するんじゃないかと思っています。

やりがいといっても人それぞれだとは思うんですけど、ここで働いているポジティブな理由作りをしていけば、下はそれを見て育つし、離職率は下がると。

離職が減れば教育にかけるコストは減る、そうしたら患者さんへの看護の質を高める取り組みもできるようになる。

今は真逆を進んでいるんですよね。そこを管理者が推し進めていかなければならないと思いますね。
編集部 編集部
それでは最後に読者の方へメッセージをお願いします。
しゅーぞー しゅーぞー
好きなことを見つけてほしいと思いますね。

自分の好きなこと、得意なことは違うこともあるかもしれませんが、自分の武器となる知識や技術など、ひとつ身に着けると、それが自信ややりがいに繋がっていくと思います。

特に若いうちはそれがよくわからないことも多いと思いますが、ロールモデルを誰か1人見つけてほしいではなく、いろんな先輩のいいところを見つけて言語化することが大事だなと。

看護師としてこの先輩のどういうところがいいんだろうと、なんでそう思うんだろうと考えていくこと。そういう考える癖をつけておいてほしいなと思います。

また、自分が伝えられることとしては、学びをどう現場に繋げるかということを考えて発信してきたので、ちょっとでも勉強したことが現場でも繋がって成功体験が増えれば、看護師として働くのが楽しいと思えるかなと。

そう信じて発信しています。頑張って一生懸命な人ほど傷ついている構図が今はあるので、そういう人たちが報われるような業界、組織づくりをしたいですね。

聞き手・ライター:白石弓夏


看護師兼ライター。小児科や整形外科病棟で10年以上勤務。転職の合間に派遣でクリニックやツアーナース、健診、保育園などさまざまな場所での看護経験もあり。現在は非常勤として整形外科病棟で働きながらライターとして活動して5年以上経つ。
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